幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り「2010年 4月号(チャイルド)」

 咲き始めた桜が、冷たい風に満開になるのを足踏みしています。暖かい日と寒い日の差が大き過ぎて、体が適応拒否を起こしています。早く冬のコートをクリーニングに出したいのに、二の足を踏んでしまうこの頃です。
 パルのクラスは、4月5日からスタートです。年度が改まるに伴い、更に「こどもに適した学び」を熟考する必要を感じています。幼児の真の学び方と大人の期待する学びの内容とのズレは、子どもの感性を大きく損ない、彼等は拭えない記憶を引きずったまま成長していきます。それはどういうことを意味するか。自由に思考する力を失った子どもたちは、自らを窮屈な学習癖に閉じ込めたまま、ひたすら目前の成績を追いかけて過ごしていきます。自由な発想をする、真に知りたいという想い、そうした感性をすっかり失ったまま大人になってしまうのは、本人にとっても社会にとっても損失です。発達心理学が専門の岡本夏木氏は自著の「幼児期」の中で、次のように記しています。
 幼児期を考える第三の前提は、そのまま本書の目的と直接繋がって来ます。それは情報処理社会と能力主義社会へのより早期からの追い込みが始まっていることです。つまり「より早く、一人で何でもできる」教育が幼児期へと侵入し、しかもそれが人間の更なる能力の開発に繋がるとの信念によって今後もより加速される傾向にあることに注意したいと思います。
 そこでもたらされるものが何か、幼児に何が育つのか、また何が失われるのかに焦点を当ててゆくのが保育者や発達研究者の課題とならなくてはなりません。例えば1970年代から、「幼児期では遅すぎる」との有名人の言葉が脚光を浴び、それに共鳴した学者や保育者によって育てられた世代の中で、今どういうことが起こっているかの検証も必要でしょう。
 今のままでは、幼児期の生活において形成されるべきものが、情報社会への適応準備の名のもとに、それへの邪魔者もしくは不純物と見なされ、幼児期は学校教育(それも実質性が曖昧なままの)の下請け期としての意味しか与えられなくなって来ます。これこそが幼児期の空洞化なのです。詰まる所、それはそうした幼児期を通過してゆく子ども自身の発達をも空洞化し、「幼児期の不在」のままの人間を世に送り出すことになりかねません。───────
 岡本氏が指摘しているこうした子どもの危機を、もう少し真摯に受け止めて考えたいと思います。私達は、「子ども達が単に体操や造形の技が巧みになること」のみを目指しているのではなく、「それぞれの体験を通して培われるもっと大きな力」を身につけてくれることを本意としています。目に見える伸び、目で見ることの出来ない内面の伸び、双方に働きかけ、
どんな場面に直面しても積極的に取り組める力、柔らかな心を持って柔軟に考えることのできる能力を子ども達に持たせたいと思っています。子ども達が楽しくイキイキと活動できるよう誠心誠意努力しようと考えています。宜しくお願いします。