幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り1月号(リトル・チャイルド)

 このところ「災害を伴う寒波」が寄せては返す、という天候が続いています。11月に1度例年に無い寒気と低湿度の時期があったため、インフルエンザの流行がいつもの年より早くやって来たそうで、大流行の兆しです。都内でも学校閉鎖になっている所もあるそうなので、油断は禁物です。
 
近頃私はつくづく、子どもの教育は生まれた時から既に始まり、途切れることなく連綿と続いていくものだと思い返しています。ここで言う「教育」とは「知育」に限ったことを指しているのではありません。単純に「言葉」を取り上げてみても、しゃべり始めが学習の出発点ではありません。喃語の時期から赤ちゃんはお母さんの言葉を受け止めて既に学習を始めています。勿論言葉の意味だけでなく、言葉に含まれる相手の感情をも察知する力を育んでいるでしょう。この「感情」を適正にキャッチさせ、それを適正な対応に繋げさせるようにするのが「躾」です。しゃべったら次は「読む」で、次は「書く」、と言った学習だけでは、全体としての子どもの(人間としての)能力にはなり得ません。
 
受験に向けた様々な学習に多くの時間を割く方もいらっしゃいますが、落としがちなのが「知育」以外の育成です。最近は「ノンペーパー」での試験をする学校が増え、「行動観察」の訓練が必要等という風潮が幅を効かせていますが、そんなものは訓練に値しません。なぜなら「行動観察」はその子どもの人となりが見たくて行われるものですから、訓練で皆が同じような行動を取れるようにしても意味がないのです。「リーダーシップがとれるか」「人との間に入って仲裁が出来るか」等を訓練すれば、と云うのはひどくおおざっぱな話です。
 
「人となり」をつくる、これが正しくご家庭での教育「躾」だと思います。
乳児から幼児へ、そして児童へと子どもは成長していきますが、今日から幼児だ、というのではなく緩やかに移行していくものです。その時期を見過ごすとついいつまでも乳児のように扱ってしまうことになります。子どもには個体差がありますから、誰もが同じ歳月で変化するものではありません。それも汲み取って子どもを見ていく必要があります。いざという時に子どもの精神性が安定していなかったら、コミュニケーションの力が不足していたら、いわゆる「学習」力も力を発揮できず、という結果になりかねません。
 
子どもの育成には「知育」と両輪の「人間形成」をおろそかにすることなく、健やかに大らかに育てて行きたいものだと考えます。
どうぞよいお年をお迎え下さい。

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