幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り10月号(チャイルド)

 暑かった八月とは打って変わって残暑が続かない九月でした。お彼岸までは暑いのも我慢、と言い聞かせて過ごしていた例年に比べ、最高気温が20度を下回る日もあり、長袖が恋しいような気候です。それとは関係がないのかもしれませんが、早くもインフルエンザの話も聞こえています。衣類や寝具の準備は出来ていますか? お子さんの環境に気を配ってあげて下さい。

 ところで皆さんは子どもという存在をどう捉えていますか? 子どもの身体的、内面的発達を大人がどのように認知しているかについて考えてみましょう。0才から1才の時期については、多くの人が子どもの発達の過程を知っています。1人で放っておくことが出来ない赤ちゃん時代ですから、誰もが保護の必要を感じ、よく観察してくれます。しかしその後は? 2才から3才、そして4才5才と年齢が重なるに連れて子どもの内面も少しずつ複雑になり、しかも夫々子どもによって環境の違いも関係してくるとなると、それまでの様な平均的情報からでは解明出来ないことが多々出てくるようになります。それなのにお母さん方は子どもが言葉で受け答えをするようになるその辺りから急に、子どもの内面の発達の進み具合を気に留めなくなるような気がします。そして突然、大人は子どもと日常の理解を共有しているつもりになって、子どもの内面レベルを大人のそれと同等と見なして対処するようになります。

 朝、子どもが登園予定なのになかなか服を着替えなかったり、のろのろと食事をしたりしていると、お母さんは「何で!?」と思わず叱りたくなるでしょう。「何で!?」と思っているお母さんは、「朝は登園準備に専念する時」という観念を子どもと共有している筈だと思い込んでいます。しかし子どもは「急ぐ」という意味をまだ充分理解していません。そんな年齢の子どもを「どうして急げないの!」と口で叱って、でも実は靴下を無理矢理履かせ、通園鞄と帽子もお母さんがわしづかみにして子どもを玄関へとせき立てる、本来子どもに行動を促し実行を見守るべきところが、全て代行するようなことになっていませんか。子どもにとって「理解」とは、体験とタイアップしていなければ届かないものなのです。遅刻して楽しい自由時間に間に合わなくて悲しい思いを味わうなどを経験せずには「急いで支度」の自覚は芽生えないでしょう。

 片や必然でない体験(押し付けられた体験)は、子どもは敏感にそれを悟りストレスと感じます。受験に向かって、どうしてうちの子は絵の表現が伸び伸びしないのだろうというお母さんもいらっしゃれば、興味と集中力が今ひとつと嘆く方もいらっしゃいます。
時に子どもが集中し過ぎて大幅に時間をオーバーして活動すれば、時間内にテキパキ出来ないのは何故? ともおっしゃいます。どちらも年長の子どもにとって、自分の責任でなんとか出来る事柄ではありません。「早く、丁寧に、イキイキと」を奨励されて絵を描くことを訓練されれば、絵に対する根本的な興味は削がれますから、イキイキ、ノビノビは不可能です。体操にしても、きちんと並ぶ、静かに待つ、ばかりを訓練した結果、生気のない子どもが出来上がったのでは本末転倒です。

 もう一度我が子の日常を見直してみて下さい。大人の都合で引っ張るのではなく、じっくり観察してみると、子どもがどんな精神世界に住んでいるのか、何に興味を持ち何をやりたがっているのか、何が出来て何が出来る筈がないのかが見えてきます。子どもの気持ちを理解するようになると子どもも大人の気持ちを察するようになり、心の繋がりが深くなります。子どもの世界を理解することなく、大人が大人の勝手で子どもを教え込もうとすると、子どもの発達を妨げることになりかねない、ということを解って下さい。

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