幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パル便り8月号(リトル・チャイルド)

 今年は梅雨の時期が長引くと云われています。気温もさほど上がらず、夏物の売れ行きも伸びていないそうです。けれど、少し動くとどっと汗が出ます。湿度が高いせいですね。寝冷えと熱中症という対極の対応を考えなければなりませんね。

 今回は、私が常々思っていることを少し書いてみたいと思います。
 社会における子どもの位置づけは、長い歴史の中で様々に変化してきました。今のように家族が結束して子どもを育て慈しむようになったのは、ヨーロッパでは産業革命以降のことで、それがあらゆる階層に行き渡るようになったのは二十世紀になってからと言われます。それ以前は、子どものことを小さな大人として扱ったり、労働力の頭数として認識されたり、成人するまでの躾や技術の習得は他人に任せたりと、今とはおよそ異なった習慣の中で子どもは生きてきました。かたや今の私たちの家庭では、子どもはどのように扱われているのでしょうか。少子化の流れの中、子どもは大切に養育され、少なくとも中学を卒業するまでの本分は勉学に勤しむこと、と言うのが大方の大人の認識です。もっと生活に余裕のある人たちは、子どもをより良い幼稚園へ、より良い学校へ送ろうとする、果ては他人の持たない特殊能力の開発を子どもに期待し、その為にあらゆる努力を惜しみません。

 けれど、「子どもが大人になる」というプロセスは、どのように考えられているでしょう。かつての時代の「成人するまで子どもを他人に預ける」という考え方も、生家の養育での溺愛を防ぐためという意味合いもあったようで、子どもから大人への移行期の育成への賢明策が取られていたと考えられます。かたや現在の子育てはどうでしょう。子どもはかなり長い間子どものままで、精神的に未成熟のまま社会に出て行く、という傾向にあるように思います。知育は重視されますが、精神性については後回しになっているのではないでしょうか。最近の親子の関係を端で見ていると、立場の逆転した組み合わせをよく目にします。「大人とはどんな存在か」といった大人像を提示しなければ、子どもには大人へのプロセスが見いだせません。子どもの気ままに何処までもつき合っていくと、子どもには我慢の耐性が養われなくなります。大人が大切な話をしている間に割って入りたがる子どもを優先する、当然の義務を嫌がる子どもに対価を差し出す、他人に迷惑をかけている子どもを止められない。子どもが主で大人が従という関係が出来上がってしまうと、容易にそれを覆すことはできません。子どもは、今まで叶ったことが急に聞いてもらえないとシャットアウトされたと感じ、じれてぐずりますが、そこで子どもを叱ったり又は前言を翻したりせず、威厳を持って聞き入れられない事情を伝えましょう。そして一度口に出したことは貫き通すのです。子どもがこれはルールだと思えるようになったら成功です。子どもに自分の立場の見極めをつけさせることが大切です。

 前々回のパルだよりにも書きましたが、精神性を高める取り組みは知育を施すのと同時進行で行わなければ意味がありません。そしてお母さん方が心配する受験の場面でも、こうした精神性を子どもが持ち合わせているかどうかは、きめ細かくチェックされている筈です。夏休み、日常に比べてゆとりのあるこの期間に、子どもと大人の立場をチェックしてみて下さい。わがままは一度始まると際限なく増殖し、それを云っている本人も増々心が乱れて気分が良く無い時間を過ごすことになります。どうぞ、穏やかな夏休みを過ごして下さい。

 授業のようすはこちらのフェイスブックよりごらんください。