幼児教室PAL パル・クリエイション

   
パル便り

パルだより10月号
 猛暑に続く異常気象がまたもや。ゲリラ豪雨に続く秋雨前線による雨に、急な低温の日々。寒暖の差が激しく、身体にこたえる毎日です。早くもインフルエンザの流行が聞こえてきていて、学級閉鎖も出ているとか。食事をしっかり摂って、充分な睡眠を心掛けましょう。

 ところで皆さんは子どもと云う存在をどのように捉えていますか?子どもの身体的、内面的発達について考えてみましょう。0歳から1歳の時期については、多くの人が子どもの発達の過程をよく知っています。一人で放っておく事が出来ない赤ちゃん時代ですから、誰もが保護の必要を感じ、よく観察してくれます。しかしその後は? 年齢が進むにつれ子どもの内面も少しずつ複雑になり、加えて各々の環境の違いが加味されると、それまでの様な平均的情報からでは解明できない事が多々出てきます。お母さん方は、子どもが言葉で受け答えをするようになるその辺りから急に、子どもの内面の発達の進み具合をさほど気に留めなくなるような気がします。子どもの内面への想像をやめてしまうと、大人は子どもと日常の理解を共有しているつもりになって、子どもの内面レベルを大人のそれと同等と見なして対処するようになるのではないでしょうか。

 朝、子どもが登園予定なのになかなか着替えてくれなかったり、のろのろと食事をしたりすると、お母さんは「何で?!」と思わず叱りたくなるでしょう。「何で?!」と思っているお母さんは、朝は登園準備に専念する時、という観念を子どもと共有している筈だと思っています。けれど、子どもは「急ぐ」という意味をまだ充分には理解できていません。そんな年齢の子どもを「どうして急げないの?」と叱っておいて、それでも時間が迫ってくると全て世話を焼いて片づけてしまう、叱る=理解させて行動を促し実行を見守る、を反故にするような対応になっていないでしょうか。子どもにとって「理解」とは、体験とタイアップしていなければ出来ないものなのです。幼稚園に大遅刻する位の気まずい想いも体験せずには「急いで支度」の自覚は芽生えないでしょう。体験を通さず、言葉だけを使って子どもを教育するという事は、子どもの特質上マイナスになることは有ってもプラスになる事は有りません。又、必然でない体験(子どもにとって押し付けられた体験)は、ストレスを感じる子どももいると云う事です。受験に向かって、どうしてうちの子は絵の表現が伸び伸びしないのだろう、どうして興味を持って集中できないのだろう、とおっしゃるお母さんがいます。時に、子どもが集中し過ぎて大幅に時間をオーバーして活動すれば、時間内にテキパキ出来ないのは何故? と同じ方がおっしゃったりします。どちらも年長の子どもにとって、自分の責任で何とか解決できる事柄ではありません。「早く、上手に、イキイキと」を奨励されて絵を描く事を訓練されれば、絵に対する根本的な興味は削がれますから、イキイキ、伸び伸びは不可能です。もう一度我が子の日常を見直して下さい。子どもにじっくり付き合うと、子どもがどのような世界に住んでいるのか、何に興味を持ち何をやりたがっているのか、何が出来て何が出来っこ無いのかがわかってきます。子どもの気持ちが分かるようになると、子どもも大人の気持ちが分かるようになり、心の繋がりが深くなります。子どもの世界を理解する事無く、大人の都合で子どもを教え込もうとすると、子どもの発達を妨げる事になりかねない、ということを考えてみて下さい。

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